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  • 2021.06.10
  • 健康情報・豆知識

6月10日は「時の記念日」 ~時間を大切にしよう~

 

日常普段の生活に欠かせない「時間」

そんな時間を記念する日「時の記念日」はどのような記念日なんでしょう。

今回は時の記念日の由来、意味についてご紹介いたします。

 

時の記念日とは?

 

 

時の記念日は、毎年6月10日

時間を守る大切さを広めるために制定された記念日です。

時間を尊重し、生活の改善・合理化を進める目的で、東京天文台(現在の国立天文台)と生活改善同盟により、1920年(大正9年)に制定されました。

当時の日本人に「欧米の方と同様に時間を尊重する意識を持ってもらいたい」

と願い、国民に対し「時間を守ることは大切な事」という意識を持つよう呼びかけました。

 

現在では、世界中の人から「日本人ほど時間に正確な国民はいない」といわれ、

多くの人々が時間を守ることを最低限のマナーとして認識しています。

しかし、昔の日本人は、時間に対する意識がルーズなものもありました。

 

日本独自の時間

 

江戸時代は「時計」という概念がなかったので、『不定時法』と呼ばれる時刻制度が使われていました。

季節によって1時間の長さが変わらないのが『定時法』、変わるのが『不定時法』です。

 

江戸の時刻制度では、日の出と日没を基準とする『不定時法』が使われていました。

日の出およそ30分前を明け六つ、日没およそ30分後を暮れ六つとし、その間を昼夜それぞれ6等分して一刻としました。

 

1日を12等分して子・丑・寅・卯~の十二支を当てはめていました。

昼夜をそれぞれ6等分し、1日12等分で時間を把握していたので、季節によって昼夜の長さが変わり、時間の長さは一定ではありませんでした。

しかし、昔の人は日の出とともに起きて1日が始まり、日の入りとともに1日の仕事を終えたので、その方が便利だったのでしょう。

 

 

 

 

他にもこのような事で時間を知っていた!?


 

■時の鐘

江戸時代、時計を持っているのは大名や豪商などだけだったので、

時計を持っていない庶民は、寺が鳴らす鐘の音を聞きながら時刻を確認していました。

時の鐘の音は、まず気づかせるための“捨て鐘”を3つ打ちそれから刻の数を最初に長く、

徐々に詰めて打ったので途中から聞いた人も何時かということが分かる仕組みになっていたそうです。

 

■日時計

江戸時代では携帯用に紙製で作ったお手製の日時計で時刻を確認していました。

 

 

そして時代が大正に変わって近代化が進むにつれて、

政府の中でも「諸外国に追いつくためには時間に対する認識が必要だ」という気運が高まりました。

 

時間の国際化

 

 

各国でバラバラに使われていた「時間」でしたが、19世紀になり近代化が進むにつれ、

世界中で時刻を統一する動きがみられました。

そこで決められたのが世界時間の基準となる経線(本初子午線)で、1884年、イギリスのグリニッジ天文台が経度0の基準地となりました。

経度が15度ずれるごとに時差は1時間とされ、これを基に各国は自国の標準時を決めました。

 

 

現在の日本の標準時は兵庫県明石市を通る東経135度の子午線上での時刻に統一されています。

 

そのような流れの中、

生活改善同盟会が、1920年(大正9年)5月16日から7月4日まで、東京教育博物館で「時の展覧会」を開催し、期間中の6月10日を時の記念日として設定し、行事・宣伝を行ったのが始まりだと言われています。

 

時の記念日はなぜ6月10日?

 

 

時の記念日の由来は、第38代天皇の天智(てんじ)天皇(在位 668~671) の時代まで遡ります。

時の記念日が毎年6月10日と制定された理由は、671年4月25日(太陽暦の6月10日)に、

天智天皇が初めて水時計を利用して時刻を計って、

世の中に広く時刻を知らしめたという故事にちなんでいます。

 

 

漏尅(ろうこく)」というのは水時計の一種で、水を入れた器(漏壺ろうこ)から常時一定量の水を落とし、

その水位変化によって目盛りが時刻を示す装置です。

上記のような、いくつかの木箱を階段状に置いて、管によって水を順に下の箱に送り込み、最下方の箱に矢を立てて、その矢の浮き沈みによって時刻を計ります。

 

 

天智天皇の時代には時計らしい時計というものはなく、

時刻の目安は太陽の動きによって変わる影を利用した日時計を用いていました。

しかし、日時計は日中しか使えず、そして天気が良いときしか使えないものでした。

それが、天智天皇の水時計(漏尅)によって、昼間でも夜でも、いつどんな時間でも、

どんなお天気の時でも、正確な時刻を知ることができるようになったわけですから、

まさに革命的なアイデアです。

天智天皇の水時計(漏尅)がはじめて時を刻んだのが、671年4月25日。

この4月25日が現行暦(太陽暦)の6月10日にあたることから、

6月10日が時の記念日となりました。

 

おわりに

 

「時は金なり」とよくいわれますが、時間は誰にでも平等に与えられた唯一のもの。

有効に使うか、無駄に使うかはその人次第ですが、二度と取り戻せない大切なものです。

 

今一度時間の大切さについて、思いをはせてみませんか?

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